因業雁木

中央分水界

明地峠から四十曲峠 11/09/29.30

 9月28日
「暑いのは苦にならない」と言っていたが、、8月の終わりごろから風邪を引いてしまって、咳をすると血痰が出た。
市販の風邪薬は「症状を和らげるだけだ」と聞いていたがことのほか良く効いて感激、目からウロコだった。
明地峠(明地トンネル)から四十曲峠(K112号線)へは、1日で歩けそうに無いから、一人用のテントやザック、ガスストーブ、寝袋、マット等で、おおよそ10万円也、用意をすると、なぜか私の休みの日には雨が絡んできた。
30日は雨の予報、エイヤーと出かけたのだった。
千屋から市倉峠を越えて、大井野から小坂部川の阿曽淵(K112号線)に出て伏谷、君山へと上り詰めるはずが、崖崩れのために大井野から山越えをして伏谷へ。
K112の県境に自転車をデポして明地トンネルの広場(道路の一部)で車中泊
9月29日
 まだ薄暗い6時に出発して7時ごろに剣山、360度の展望だったが大山は雲の中、8月28日に歩いた花見山から三日月山への稜線も見えていてミクロな世界を歩いた私にしてみれば感激の景色だった。
明地峠(新見の美しい森キャンプ場)への下りは登山道、次のピークまでは遊歩道が在ったが県境尾根歩きはヤブをこいだ。
尾根には、牧柵用の亜鉛メッキされた支柱が点在していて、支柱はなだらかで広い笹とカヤのピーク手前まで続いた(二子山西峰の西側ピーク)。
このピークからの県境は、ピークより少し下がった所からのっぺりとした斜面を下るから迷うだろうなァ~と地形図を眺めていたが、尾根の取り付きは岡山側が落葉松で鳥取側はヒノキ、少し下ると土塁が出現して植林帯の中をトットト下った。
県境を破線道が横切る鞍部から二子山西峰へ少し登ると、背丈ほどの笹漕ぎの始まりで、二子山西側のヒョコピークを下るまで続いた。
二子山西峰P1035.0四等三角点で三土)に11時30分頃に着いて昼食、二子山は目の前で、16時頃までには全行程の3/4は楽勝だと思っていたのだった。
このピークまで作業道が上っていたが、県境尾根歩きはヤブを漕いで下った。
尾根は若い植林帯で、笹や小枝が茂っていて足元が見えないからたまに土塁脇の溝に嵌った、もう少し下れば鞍部の作業道かと思っていたが目の前にヒョコピーク??上らざるを得ない??少し登ると周囲の山の景色が逆転??振り返ると二子山、下った尾根を上り返していて久しぶりに不思議な感覚を味わたのだった。
二子山へは尾根をぐるりと捲いて登る、踏み跡は明瞭でこまめに赤テープと土塁で迷うことは無いが、背丈ほどの笹と倒木と小枝が張り出していて難儀をした。
14時20分頃、二子山まで後20分ぐらいの所で風雨が強くなってきて、手間取りながらもそそくさとテントを張って、風が強いから有り合わせを食って15時にはふて寝。
ゴウゴウビュウビュウな音で2~3時間おきに目が覚めた、そろそろ朝かと思ったがまだ23時、ゴウゴウビュウビュウな音に睡眠を邪魔されたがまだタップリ寝れると思うと直ぐ寝入った。
9月30日
朝5時ごろになると少し風が治まってきて、少したなびくテントの前室で恐る恐る湯を沸かして朝食。
風が止むと雨足が強くなったが7時に出発、ガスのために視界は100メートル程度。
2等三角点(二子山)の笹を少し刈ってさてさて、北への尾根をコンパスで確認してそろりそろりと下るとリョウブの枝が折られていてこれも「県境尾根」の目印のひとつ。
鞍部から20メートルのヒョコピークへ、ここからの尾根を探すのに3本の尾根を下ったが判然としない、一番県境尾根らしい尾根を下ると谷へ落っこちてしまった。
緩やかな谷を下るとヘアピンカーブの車道へ出て、少し上って越えた所は「君山」でK112号線を30分上り詰めて自転車デポ地。
A4用紙に県境線を目イッパイ刷りこんでいるからこの辺りの地形はカットなのに、最善のコースを取るとは運のいい奴とも思った。
崖崩れの為に急な山越えがひとつ増えたのは痛い、K112号線からR181号線に下って根雨までイッキのダウンヒル
タクシーで明地トンネルの出発点へ帰着して、根雨の自転車を拾ってから道後を越えて帰路に就いた。
10月7日のリベンジ中にカメラを無くしてしまったのだった。
K112号線まで少しの所の41番送電鉄塔辺りの事で、2時間余り探したのだが、、、
昨日(13日)も探したのだが、、今日は雨で万事休す。