因業雁木

中央分水界

17/09/15・16・17 三国峠から清水峠

 上越国境の三国峠から清水峠までを15、16、17日と歩いた。
 旅館を予約した頃から、台風18号が列島縦断の予報に少々気が萎えたけどGO。
 14日は苗場スキー場近くの旅館に泊まり、翌朝6時に三国トンネル手前に駐車して出発。
 新しいトンネルの工事中で、もう作業に取り掛かっておられました。
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 6時50分。三国峠
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 稲包山への刈り払い。
 鉄塔までのものなのか、来年には群馬県境稜線トレイルが開通するとゆうことだから、刈り払いは全て終わっているのかな?
 
 7時40分。三国山
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 急な斜面には木の階段が設置されていたが、濡れると下るのは怖そうだった。右方向の笹の切れ目に釣り込まれそうになったけど、ピークの肩までバックオーライ。
 
 濃い霧でも迷うことは無いでしょうね。
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 9時。三角山から大源太山
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 笹原を直登なんだけど道は途中から左へトラバース、登山道にしっかりと釣られました。
 
 大源太山。
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 登山道をピストンして茶を濁した

 尾根から平標山
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 平標山は霧の中で「平標山の家」の赤い屋根が、、見えるかの。
 何かおやつでもと思って聞くと、何もありませんとつれない返事が返って来て、あさってオヤジになり下がった。
 大障子避難小屋までは大よそ6時間で、風に吹き飛ばされないよう注意して下さいとの事だった。
「只の水」を少し補給して、長い木の階段を上った。
 11時。平標山。
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 11時50分。仙ノ倉山
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 エビス避難小屋で軽い昼食。

 13時。エビス大黒の頭
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 少し下っていると、単独の外人さんと出会った。
 平標山から土樽へ下るとの事だったが、外人さんは何時も軽装だな。
 
 14時。毛渡乗越
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  霧が幕の様に下りてくる。
 万太郎山への上りでは同年輩と思はれる単独者が下りて来て、三国トンネルの群馬側から万太郎山へのピストンとの事でちょっとスゴすぎ。
 お互い頑張りましょうと挨拶を交わした。

 15時15分。万太郎山
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 16時15分。大障子ノ頭
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 頂上直下は、ガレた斜面で登りでも少々怖かった。
 
 16時30分。大障子避難小屋から阿弥陀
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 ほぼ予定通り、左端へ下って給水。
 定員15名の小屋は独り占め。
 湯沢方面
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16日。
 ゴーゴーと風と霧が群馬側から吹き上がって来て、顔にあたる雨は痛いほどだった。
 東海地方は大雨の予想、此処も時間の問題だろうと台風が過ぎるまで二日ほどフテ寝を決め込んだ。
 10時頃に女性二人が来られて、平標から土樽へとの事だったがこれからさらに風雨が強くなるのにご苦労なことだと思っていた。
 12時ごろになると笹の葉が乾いて来て、とうとう焦れてしまって12時30分頃出発。
 14時30分。トマノ耳
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 オキノ耳辺りに来ると、空は高曇りで穏やかな天気。
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 群馬側から新潟へ霧が流れ込んでいて、霧の中で暴風雨だと勘違いしていたのはちょっと恥ずかしいね。
 此処まで来てこの天気なら、蓬ヒュッテまで急げや急げだ。
 
 稜線から一ノ倉岳と茂倉岳
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 一ノ倉岳からオキノ耳
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 17時30分。武能岳
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 茂倉岳には16時、この頃から風とガスが強くなった。
 蓬ヒュッテには18時に着いたものの留守だった。
 小屋の前から電話を掛けると「どうぞお泊り下さい」風が吹きすさぶ中テントを張ることを思えば只々感謝です。ありがとうございました。
 
 17日
 6時30分ごろ出発、昨日と同様に風と霧だったが今日は余裕です。
 七ツ小屋への上りは特に風が強くて、吹き上がって来る風は背中を押すものの波打ってくるから、時にオットト。
 まるで押し競饅頭をしているようだった。
 清水峠手前の送電鉄塔辺り迄風に弄ばれた。
 
 8時30分。清水峠(東電小屋)
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 立派な避難小屋だなと思ったら、しっかり鍵が掛っておりました。
 
 五十里尾根から下った。
 清水へ下った渡渉地点には、鉄製の歩板が掛けられて最後の難関も無事通過。
 歩板は、山側のみロープで縛られている簡単な「片流れ橋」でした。

 中央が五十里尾根
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 さて此処から巻機山は何時かの。
 車止めからはデポして置いた自転車で、まずは今日の宿探しをと清水の泉屋さんにお願いして、 越後湯沢駅まではサイクリング、駅から三国トンネルまではタクシーで8120円也トホホ。
 湯沢の「山の湯」で汗を流した。
 台風の為に宿泊客はワシ一人、それでも快く泊めてもらって夕食には「八海山」をご馳走になったのだった。 
    おしまい